バレエダンサー「そのひとりのキャリアのストーリー」

「そのひとりのキャリアのストーリー」をご紹介するシリーズ。
 

 
 

今回は、現在、医学部で学ぶ津下 千賀子さん(以下、千賀子さん)のインタビューです。

 
 
私と、千賀子さんとは20年以上ものお付き合いです。
 
私の娘がバレエを始めて間もない幼い頃、同じくまだ千賀子さんが子どもの頃に、
同じバレエ教室で知り合ったのが始まりでした。
 
 
千賀子さんはバレエダンサーを目指してロンドン留学をされましたが、今は新たな夢のために医学部で学びをスタートさせました。
 
 
バレエ留学で渡英後、けが・手術・長期のリハビリ。
 
踊りの第一線を離れて自分を見つめ直す間に、「本場のピラティス」との出会いで体が劇的に改善。
 
ロンドンに在留してピラティスを本格的に学び、帰国後は病院で勤務する傍ら、
ロンドンで思い描いたことを日本で実現すべく、さらなるステップアップのために勉強に励まれています。
 
 
これからがますます楽しみな千賀子さんのストーリーを伺いました。
 
 

Pilatesの師匠 Alan Herdmanと
The Complete Pilates Tutor (プロフェッショナル ピラーティス)より

 
 

バレエダンサーになるために行ったロンドンでの「方向変換」

 
 
添田「ちかちゃんはバレエでロンドン留学中にケガをしたんですよね。回復まではどれぐらいの時間がかかりましたか?」
 
 
千賀子さん「1〜2年ですね。」
 
 
添田「そんなに長かったんですね。」
 
 
千賀子さん「1年のリハビリプランだったのですが、半月板も含めて損傷箇所が複数あったので、さらにもう半年動けなくて、手術2回。
トータル、1年半から2年ぐらいのリハビリ期間でした。」
 
 
添田「辛いですね。今思えば、その時に見つめ直して何を得ました? 導き出した答えというか」
 
 
千賀子さん「やっぱりバレエでプロの道に進みたいと思って(ロンドンに)行ったので、そっちで結果を出さなきゃ、というプレッシャーはありました。
でもそのプレッシャーに気持ちが向きすぎていたなと・・・
普通にリハビリして普通の生活をして気付くことができたんですよね。」
 
 
添田「リハビリは、ロンドンで病院に通って受けていたんですか?」
 
 
千賀子さん「はい、病院と学校で受けていました。」
 
 
添田「そうですか、学校でもケアするんですね。」
 
 
千賀子さん「そうですね。医務室やトレーニングスタジオがあり、
専属のphysioやpshychologistなど様々なセラピストがいらっしゃって、大変お世話になりました。
 
怪我の後も、毎日学校に行くという生活スタイルは変わらなかったのですが、
リハビリ期間が長かった分、“競技者側”から、“競技者のサポート側”の視点でバレエを見ることができました。
 
 

リハビリを乗り越えてプロになった友人と
Singapore Dance Theatre ソリスト、Elaine Heng

 
 
多分、ケガの回復が早くてすぐ舞台に戻れる状態だったら、早く回復することに夢中になって、
競技者のサポート側の視点で自分とバレエの関係について見つめなおすことはなかっただろうなと思います。」
 
 
添田「確かに、離れる期間が短ければ、今のような道ではなかったかもしれませんね。
リハビリ期間を経て、その後はピラティスの学校に通っていましたよね。」
 
 
千賀子さん「はい。リハビリで先生にお世話になって、ピラティスで体が変わって、踊れるようになってきました。
やっぱり全然違うんですよ。ピラティスをやっていると。
パフォーマンスも断然上がるし、リハビリにもなるし、これだ! と思って、ピラティスの学校に行ったんです。」
 
 
添田「ちなみに、日本でよくあるピラティスとやり方?が少し違うそうですね。
『ピラティス』さんは、もともと看護師さんだったそうですし。
たまたま、私も別の国で体験させてもらったことがあって、こんな幾つもの機械を使ってやるの? と、びっくりでした。
ピラティスで機械を使うイメージがなかったので。」
 
 
千賀子さん「そうですね、日本だと結構、ダイエットやボディメイク的な要素が強くて、マットの上でやるものが多いです。
ピラティスはもともとリハビリの考え方から来ているんですよ。
 
私が学んだところはマシンも使って、コンセプトや『ピラティス』さんのフィロソフィーから丁寧に教えているところでした。
当時、私が教わっていたピラティスの先生方は皆さん同じスタジオ卒業だったこともあり、そこで学びました。」
 
 

治療が終わった方向けの「ピラティスの先生」として活躍

 
 

リハビリを助け合った仲間たち、”チーム リハ”
 
 
添田「病院のリハビリとピラティスは、関連性が強いんですね。
ピラティスの起源を聞くと納得します。
ちかちゃんはピラティスの勉強をして認定(卒業証書)をもらったのでしたよね。」
 
 
千賀子さん「はい、取得しました。
日本に帰国してからは、クリニックに勤務する傍ら、ピラティスを教えることになりました。
当時、私が勤めていたクリニックは、建物内にスタジオを併設していて、そこで始めることにしました。
 
ロンドンで学んだ“リメディアルピラティス”を始めるには、とても良い環境だと思いました。
現在はコロナの影響もあり、オンラインでクラスを続けています。対面でクラスをするのが一番ですが、
オンラインでも生徒さんたちとつながって、クラスを続けることができているのはとても幸せですね。」
 
 
添田「すばらしい。ピラティスの先生として、オンラインでもリハビリを。」
 
 
千賀子さん「リハビリというと保険診療期間内に病院に通って受けるイメージを持っている方が多いと思いますが、期間が終了してからも自主的なケアは大切です。
そこまでがリハビリだと思っています。
 
リハビリは結局、自分で続けなければ元に戻ってしまったり、他の箇所が痛くなったりといった悩みを抱えている人が多いのですが、
同じような痛みや悩みを経験している人が集まるクラスがあれば、少し心に余裕をもって通えますよね。
 
ジムだとケガをしていない、健康な人も多いので、ついていけないかもしれないという不安が生じることがあります。
しかし、私のクラスでは整形外科疾患のリハを受けている方やリハ終了された方を対象としたクラスを設けているので、
生徒さん同士で『私も同じ手術だったわ』とか『このあいだ注射を打ってきたわよ』
と話したりしながら、みなさん仲良くなられていくというか。
一緒に頑張ろう、という感じで通われています。
 
実際に私もリハビリしている時に、ケガをした仲間同士で励ましあうことで、リハを楽しく継続することができた経験がありました。
それで、そういったクラスを作ることで、新しいチームというかコミュニティが形成されて、
ピラティスを通して身体を動かすことやケアをすることが継続しやすくなるのではないかと考えました。
 
まぁ、自分も膝の手術を受けて継続的なケアが必要なので、仲間が欲しかったというのもあります(笑)」
 
 
添田「すばらしいですね。ちかちゃん、これから先もどこでもレッスンもできますね。」
 
 
千賀子さん「そうですね。学生生活に余裕が出てきたら近所でもクラスを始めたいな、とは思っています。」
 
 

夢を叶えるために医学部への進学を決意

 
 

合格した医学部へ
 
 
添田「話を少し戻しますが、元はバレエダンサーを目指してロンドンに行った。
そして、ケガが思わぬアクシデントで、それも数ヶ月では治らなくて1〜2年。
その間にピラティスに出会って、ピラティスの学校にまで通った。
 
方向変換したのはそのタイミングですよね。
日本で今、医学部生として頑張っているわけですけど、いつ頃に医学部を目指そうと思いましたか?」
 
 
千賀子さん「え~と、日本に帰国する前におぼろげながらですが、医学部に行くということも選択肢の一つとして考えていました。
ピラティスを教え始めて、1年くらい経ってからですかね。」
 
 
添田「日本に帰国して、それからピラティス教えたりって病院にいるうちに考えが浮かんだのですか?」
 
 
千賀子さん「いえ、日本に帰ってくる時に、すでにアイディアとして今後の道が浮かんでいました。
その他のアイデアとしては、イギリスで physiotherapist(日本名:理学療法士、PT)になるということや海外の医学部に行くこと等がありましたね。
 
イギリスのphysioは日本のPTと違って、開業権があったり、働き方の自由度が高いんです。
勿論、その分資格を取るのにかかる時間は長くなりますが。」
 
 
添田「そうですね、日本では病院など既存の施設にお勤めされますよね。」
 
 
千賀子さん「現在の日本のリハビリの流れは、医師が診断して、PTが実際のケアをする形ですよね。
 
ですが私は、自分がイメージしているイギリスのphysioのようになりたいと思っていたんです。
そしてそれは日本でやるならば、“医師”という方向になるんだろうなと思って、実際に現場で働いてみたくて、クリニックに就職しました。
私が入職したクリニックには、とても優秀で熱心なPTさん達が集まっていて、色々なことを勉強させていただきました。」
 
 
添田「なるほど、そのクリニックはどこで見つけたのでしょうか?」
 
 
千賀子さん「ネットで見つけました。院長も海外で学ばれていたこともあり、お話を伺いたくて面接のお願いをしました。
入職してからは院内の色々なお仕事をさせていただきました。
先生方に進路相談にものっていただいたりしました。
そんな中、これは一念発起して、医学部目指すしかないのかなと思い始めました。」
 
 
添田「自分でこういうことやりたいな、こういう風になりたいなとイギリスで思って、帰ってきたけど、日本の現実としてはそれとちょっと違うなと。
実際に現場で、海外帰りの先生が気になってコンタクトを取ってみたら良い環境で、ますます自分のやりたいことが明確になってきたということですね。」
 
 
千賀子さん「そうですね。こういうことをやりたいというイギリスで作り上げた明確なイメージはあるものの、日本でどうやったら実現できるかわからず。
結果的に辿り着いたのは、「まず医学部進学」だったという感じです。
 
帰国してからは、向こうで作った自分のやりたいことのイメージと、日本での実現の仕方のすり合わせも必要でしたし、本当にそれが可能なのか。
どれくらいの熱量で自分はそれに向かっているのか自分を試したくて、情報収集と適応の日々でした。
 
クリニックで働くことやスタジオでピラティスクラスを始めることもそうですし、
実際に予備校に通って受験勉強を始めてみたりと、とにかく自分で色々経験してみました。
 
そんなこんなで帰国して1、2年はトライ&エラーの日々でしたが(今もですが)、やっぱり思い描いていたことは変わらないなと決意が固まっていきました。」
 
 

背中を押してくれた1冊の本

 
 
添田「確か、ちかちゃんは前『この本を読んだから』って、Facebookに載せていましたよね。」
 
 

(LEAN INリーン・イン)
 
 
千賀子さん「はい、リーン・インという本で、私の人生のバイブルです(笑)。
FacebookのCOOのシェリル・サンドバーグが2013年に出版した本で、イギリスでもアメリカでも爆発的に売れました。
女性の生き方について書かれた本で、仕事と家庭の両立、成功と好感度、パートナーとの関係性等、女性がキャリアを積んでいく上で生じる様々な問題について書かれています。
 
内容としては、女性が仕事と家庭を両立しやすい社会にしていかなきゃいけないよね。
キャリアも平等に積んでいけるような社会にしていきたい。
それには男性も女性もみんなが一緒になって考えて仕組みを作っていかなきゃいけないよねという感じの内容です。
 
印象的だったのは、そこに出てくる例です。
 
ある20代後半の女性がシェリルさんにどのように家庭と仕事を両立しているのかと相談を持ちかけ、話し始めると、差し迫った雰囲気で立て続けに質問をしてきて、、、、、。
 
シェリルさんが、だったらパートナーとはどうなのかと彼女の話を聞くと、実際にはまだ夫もいないどころか、彼氏もいないという状況で。。。。
(まだ起こってもいない未来の心配をするのは、どこの女子会でもよくありますよね!笑)
 
 
シェリルさんはその状況を、“ブレーキを踏みながら生きている”って表現しています。
 
まだ起きていない未来の心配をして調整しながら生きる、そういうのもったいないからやめようって。
不安に思わなくとも一歩を踏み出せるような環境、社会にしたいよねって。
 
当時、20代後半で医学部受験を考え始めた自分自身と重ねて読んでいたので(彼氏なし 笑)、この本を読んだおかげて挑戦してみようという勇気が湧いたのです。
なので自分のFacebookページに上げました。
 
その頃、欧米ではこの本が爆発的に売れて、“女性がんばるぞ”といった雰囲気があったんです、2013年頃ですね。
 
当時の私は、“そろそろ私も日本に帰るし、もし本当に医学部に行くなら、
受験勉強して、医学部編入して、研修医もやって、結婚して、出産して、、、、、
あれ?え、40代突入?、、、”。
すごい、なんというか30代は『地獄だな』って思いました(笑)。
 
もしそうなら、結婚とかあきらめなきゃいけないのかなって色々考えていたので、その本に出会ったことで、
『ああそっか、こういう時代の流れに乗っているんだったら、自分が卒業するぐらいには社会は変わっているんじゃないかな』
と思えたんです。
 
こういった類の話では日本はちょっと世界の流れより遅れているから(遅れているという捉え方が正しくはないかもしれませんが)、
遅れているとしても、アメリカでそういう流れが起きているんだったら数年後には日本でもそうなるんじゃないかな、と思ったんですね。
 
そうしたら、『働き方改革』とか『女性の社会進出』とか2、3年ぐらい前から始まりましたよね。
だから、まあどうにかなるのかな、やりたいことをやった方がいいのかなということで、まず医学部に行って医師になるという道をこの本が後押ししてくれたんです。」
 
 

ケガが“人生を見つめ直すチャンス”に

 
 
添田「女性の生き方は様々で、私もキャリアカウンセラーの知識あるコーチとして定義しているのは、
“キャリア”って言ったら仕事のことじゃないと。
ライフキャリアって、人生。
つまり『生き方そのもの』だから。
 
私の例を挙げると、早くに結婚して20代に入ってすぐ出産してずっと主婦をやっていたわけだけれど、途中で人生が変わって、今では4つの仕事を持ち多様な働き方していますから(笑)
 
ちかちゃんが今動いているように『自分がやりたいことが動くとき』って人生のどこかのどの場所かは人によって違いますよね。
ちかちゃんはますますこれからですね。医学部で学生のうちに結婚とかになるかもしれませんね。」
 
 
千賀子さん「そうですね。今年32歳なので、ここから8年どう頑張っても地獄の30代でしょうね・・・。
結婚、出産、子育てを既にスタートさせている友人や大先輩である母の話はいつも勉強になります。
ライフプランに関しては、今のうちに色々と自分の中で整理や棚卸しをしているものの、生きていれば色々あるし、
何が起こっても対応できる柔軟性は持ち合わせていたいなと思っていますね。
 
ブレーキを踏みながら生きないためにも!」
 
 
添田「今の時代は逆に、女性の選択肢にも自由度が増した分だけ、悩むこともあるかもしれないですね。」
 
 
千賀子さん「本当にそうだと思います。
私の世代は、20代になって仕事か家庭かというきっと誰しもが一度はぶつかる壁が、ちょうど今のように働き方がサポートされる前にきました。
キャリアを築きたいけれども、今ほど女性のキャリア形成がサポートされている環境ではなかった。
20代ですぐ専業主婦になる選択をしても、悩みながら、何かを捨てたり諦めたりしていたと思うんです。
 
実際に早く専業主婦になった知人は、今は女性がガンガン働いてガンガン昇進しようという時代になったから、
私ももう少し遅く生まれていたら色々できたのに!という話もしていました。」
 
 
添田「なるほどね、ちかちゃんは、これまで色々な決断をしてきましたよね。
一生懸命にやってきた中で、それを辞めて違う方向に行くというのは、“諦め”というか、今までやってきたことが無駄になっちゃうんじゃないかとか、
自分が違うことをやろうと思えば、今までお世話になった人たちに申し訳ないとか、喪失感が半端ないということもあったんじゃないかと思います。
 
振り返ってみて、ちかちゃん自身は、留学していた時にそういう喪失感を感じたことはなかったですか?」
 
 
千賀子さん「喪失感ですか。ケガした時が、一番大きかったですね。
その時はそれこそ今まで積み上げてきたものが崩れ落ちるような感覚に陥りましたね。
でもケガをして、ケガの期間が長かったから、ゆっくり自分を見つめなおすことができたので今があると思います。」
 
 
添田「いいですね。さっき、ちかちゃんは地獄の5年間と言っていましたけど、(笑)
ぜひ楽しんでくださいね。面白いことができそうですね。」
 
 
千賀子さん「そうなったらいいんですけどね。長いですね。先は長いです(笑)」
 
 
添田「色々と話を聞かせてもらいましたが、今日のお話の結論として。
ちかちゃんとしては、自分で留学するときも結構考えて決意して行ったと思いますが、今振り返ってみたらその何だろう、、、
ケガをしたとか、その後バレエの道から転向した事は自分にとってはプラスだったかマイナスだったか、まとめるといかがでしたか。」
 
 
千賀子さんもちろんプラスです! 本当良かったと思っています。
バレエでなかったとしても海外に行ってそれで吸収できた価値観もたくさんありますし、自分の目で見て、足で動いて、色々経験させてもらうことができて本当によかったって思います!」
 
 
添田「親御さんにもきょうだいにも、感謝ですね」
 
 
千賀子さん「本当に!家族に感謝ですね。」
 
 
添田「これからも頑張ってくださいね!」
 
 
千賀子さん「はい!ありがとうございました。」
 
 
ちかちゃん、ありがとうございました。夢の実現のためにバレエダンサーから医学部へ。
彼女のキャリアストーリーを聞いていて、面白い!exciting!という感想が沸いてきました。
今後も彼女の活躍が楽しみです。
 
 

インタビュー会場前にて ※現在は自粛期間として休業中
会場提供:Cerdi Organic Cucina Italiano

編集後記

 
 
この話を皆さんに紹介するにあたり、今のご時世だからこそ、キャリアコーチとしてお伝えしたいことがあります。
 
自分が目指していたことであったり、思い描いていた人生とは違った「思わぬ道」に進むことになったとしても、そこから必ず得るものがある、ということです。
 
そういう時に、自分が世の中から取り残されているのではないか、とか、この先どうなってしまうんだろうとか、特に今は、そのように悩む方も少なくないでしょう。
 
 
例えば、バレエダンサーを目指して夢中でやっていたけれども、諦めることになった時の取り残されている感と、
仕事上のキャリアをいったん止めて専業主婦を選んだときの取り残され感は、似ているかもしれません。
 
それと同じで、今のこの世界的な状況の中で、「自分ではどうすることもできないこと」で取り残されるような不安を抱えている人も多いかもしれません。
 
ですが、一人ひとり、歩んだ道はその人の道筋であって、ちょっと視野を広げてみると、実はその先にものすごくたくさんの道があるということにも、ぜひ気づいていただきたいと思っています。
気づきから新たな夢に向かって進む姿は、周りの人にも元気や希望を与えるものです。
 
もしこの記事を読んでいるあなたが、悩んでいたり、お子様が悩んだりしていたら、それまでの自分のキャリアを肯定してあげてみてください。
キャリアは、ひとりの人生そのものだから。
 
 
これからもあなたのキャリア、応援します。
 
 

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